仙台の由来・語源と牛タンの歴史

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仙台市は、宮城県の中部に位置する県庁所在地で、政令指定都市にも定められています。

今回は、そんな仙台市に関係したことをまとめてみようと思います。

仙台の由来について

仙台という表記ですが、戦国時代には「千代」と表記されていたものが、1601年に伊達政宗が青葉山にお城を築いた時に「仙臺(仙台)」と改称したことに由来していると言われています。

そもそも、この地が「千代」と言われていたのは、この地にある「千体仏」に城を築いたことから、城の名前を「千体城」にしたのですが、「千体」の部分を「千代に栄える」という願いを込めて、国分氏という人が「千代」という表記に改名したのが発端とされています。

その他には、このあたりは広瀬川の川の間に開けた平地だったために「川内(せんだい)」と呼ばれていたという説や、アイヌ語で「広い(セブ)川(ナイ)」の言葉が転じて「せんだい」と呼ばれるようになったという、広瀬川に由来しているという説もあるそうです。

そして、伊達政宗が「千代」を「仙臺」に改名した理由としては、中国(唐)の「同題仙遊観」という詩集にある「仙臺初見五城楼」という部分からとったのではないかとされています。

仙台が牛タンで有名な理由とは

仙台という言葉を聞くと、真っ先に「牛タン」を思い浮かべる方はどれぐらいいらっしゃるでしょうか?

牛タンは、今や仙台の名物となっていますが、なぜこんなにも有名になったのでしょうか?

その背景には、太平洋戦争が終結してからの、日本の復興に向けての歴史が関係しているのだといいます。

昭和23年、日本が復興に向けて歩み始めた頃に、仙台での「牛タン焼き」の歴史が誕生したとされており、仙台牛タンというものの生みの親である佐野啓四郎さんが、洋食料理の中で使われていた牛タンのおいしさのとりこになり、試行錯誤を重ねた上に「牛タン焼き」を完成させてお店で出したのが始まりだそうです。

戦争によって家族を失った人や、仕事がなくなってしまった人たちは、飲食店を開くなどをしていたといい、中でも手軽に開業できる焼き鳥屋が人気だったということで、仙台市内には多くの焼き鳥屋があったといいます。

焼き鳥屋といっても、戦後の食糧難のために鶏肉だけではなくて豚肉や牛肉も焼いていたといい、牛タンの生みの親である佐野啓四郎さんも同じく焼き鳥中心の飲食店を経営していたということです。

しかし、焼き物しかないがゆえに、ヒット商品を作ってもすぐに周りのお店に真似をされてしまっていたといい、もともと和食の職人だった佐野啓四郎さんは「他の人に真似できないものを作りたい」と思い、洋食料理で牛タンのおいしさに感激した時に「これを煮込みではなく焼き料理にも!!」と、研究を重ね、下処理が難しく、職人の腕がなければ作ることの出来ない「牛タン焼き」というものを開発したそうです。

これがきっかけで、今まで洋食での「煮込み料理」だった牛タンが、手軽に食べられることになったといい、牛タンは仙台で有名になっていったのだそうです。

・参考記事
http://chimei-allguide.com/04/100.html
http://senblog.sendaisirou.com/1sendainoyurai/sendainoyurai.php
http://www.gyutown.com/about/history.htm 他

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