加藤の名前の由来 ~苗字のルーツや家紋などの話も併せて~
全国的に見ても割合の多い「加藤」という苗字ですが、その由来は一体どこにあるのでしょうか?
今回は「加藤姓のルーツ」についてまとめてみようと思います。
加藤姓が多い場所について
現在、「加藤」という姓をお持ちの方の割合は多く、全国第10位に入っているのだといいます。
加藤という姓が多い県は、東京都・神奈川県・福井県・愛知県・静岡県、そして三重県などで、岐阜県に関しては、加藤姓が一番多い県だという事です。
このように、加藤姓が多いのは、関東地方や東海地方だということがわかりますよね。
なぜ、この地方に加藤姓が多いのかというのは、加藤という苗字の由来に関わっています。
加藤姓の由来とは
そもそも加藤という苗字は、その昔絶大な権力を握っていた「藤原氏」から派生してできたものだといいます。
権力が強かった藤原氏は、その苗字を名乗る人(子孫や血族)がどんどん増えていき、不便になっていくとともに「藤」の文字をとった新しい苗字がどんどん派生していったとされています。
加藤氏も例外ではありません。
加藤氏が出来た流れとしては、まず藤原利仁の子である「叙用」という人が、藤原氏から派生して出来た「斎藤氏」の祖となります。
そして、叙用の子である「吉信」が加賀介という名になり、加賀に移住したとされています。
この加賀に移り住んだ藤原氏というのが、加藤氏が出来た由来だとされています。
ちなみに加賀というのは、現在の石川県南部の辺りだそうです。
加藤が関東や東海地方に多い理由
加藤氏の由来とされている吉信の子孫にあたる「景道」という人は、源頼朝の旗揚げに参加しましたが、石橋山の合戦に破れてしまい、その時に甲州へ逃げたと言われています。
そこから「甲斐源氏」を頼っていたとされていますが、景道の子である「景清」という人が伊勢の方にわたり、そこで伊勢加藤氏の祖になったそうです。
しかし、源頼朝の没後に幕府の内紛に関わったことから領土を奪われてしまい、子孫たちは伊勢から甲斐や尾張などに広まっていったといい、これが加藤氏が関東地方や東海地方に広まった由来だとされています。
加藤家の家紋の由来について
加藤の家紋には、加藤清正が甲冑に用いていた「蛇の目」が有名ですが、その他にも「桔梗」の家紋もあるそうです。
「蛇の目」の紋は単純明快で強い印象を与えることから、戦場で使われていた紋だとされています。
「桔梗」の紋は、加藤清正が肥後に赴くにあたり、豊臣秀吉が讃岐の尾藤知定(びとうともさだ)の武具や調度の一切を清正に与えたとされており、その尾藤家の家紋が「桔梗」だったことから、清正はその紋をそのまま使い、家紋にしたとされています。
そして、「桔梗」の紋は慶事の際に使用していたとされています。
・参考記事
http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/11_20/katou.html
http://ameblo.jp/keizu-roots/entry-11607364201.html
http://www.kato-k.org/kamon.html 他