花火の由来・起源 ~「夏開催」「たまや~!」のナゼ?から隅田川の歴史まで~
今や夏の風物詩となっている花火は、毎年様々な場所で盛大に打ち上げられていますよね。
そんな花火の由来や、打ち上がるときの「たまやー!!」の言葉の由来などを紹介していきたいと思います。
花火の由来について
花火のルーツには諸説あるとのことですが、「中国に原点がある」とよく言われているようです。
火薬の材料の基本となる硝酸塩の混合物である硝石が発見され、それによって万里の長城での通信手段にのろしが挙げられていたものが、花火の始まりではないかと言われています。
硝石は、シルクロードを経て中国からヨーロッパに伝わり、戦争の火器として使用されていました。
観賞用の花火としては、14世紀後半のイタリアで、キリスト教の祝祭に「火を吐く人形」のようなものが使用されたことからヨーロッパ中に広まり、そこから世界中に広まっていったといわれています。
日本に火薬が伝わったのにも諸説ありますが、歴史の授業でも学んだ覚えのある「ポルトガルからの鉄砲の伝来」が有力のようです。
そして、徳川家康が中国人の手によって日本人で初めて花火を見たという説があり、そこから江戸では花火が大流行したのだといいます。
夏に花火を打ち上げるのは「鎮魂」の意味が込められている
私たちはなんとなく夏になったら花火大会だと認識をしていますが、そもそもなぜ花火大会は夏に多いのでしょうか。
それはどうやら送り盆の時期に「鎮魂」のために打ち上げられていたことからだといいます。
現在の日本の暦では、8月15日を中心にお盆と言われています。
お盆とは「年に一度、先祖の霊がこの世に帰ってくる期間」と言われており、地域によって様々な伝統行事が行われていると思います。
大体は、13日はご先祖様が迷わずに帰ってこれるように「迎え火」を焚き、16日はご先祖様たちを帰すために「送り火」というものを焚きます。
この「送り火」を焚くという習慣がいつしか鎮魂の意味を込めて花火大会をするようになっていったのではないかと言われています。
隅田川の花火の歴史と「たまや」の意味について
全国の数ある花火大会の中でも有名なのが隅田川の花火大会ではないでしょうか。
歴史の長い花火大会で、毎年テレビなどで取り上げられているイメージがあります。
江戸時代に花火が大流行しましたが、花火が原因での火災も何度も発生したといい、ついに江戸幕府は一時期「花火禁止令」を出したといいます。
しかし、流行は中々おさまらずにその後6回ほど花火禁止令が出されたのだそうです。
そして、1733年に徳川吉宗が「前年の飢餓と悪病払い(コレラの流行を鎮める)ための施餓鬼」というものを催して、隅田川で花火を打ち上げたのだといいます。
そのことが、隅田川で花火を打ち上げる由来になっていると言われています。
また、「たまや」というのは江戸時代に力を持っていた「鍵屋」という花火師からのれん分けをしてもらう形で鍵屋とともに花火を打ち上げていたのだといいます。
これが、花火の時の掛け声である「玉屋ー、鍵屋ー!!」の由来となっています。
しかし、1843年に玉屋は大火災を起こしてしまい、それを理由に江戸を追放され、わずか1代限りで断絶してしまったということです。
・参考記事
http://www.shirotori-kids.com/colum/fireworks
http://moontoyou.net/events/hanabi2.php
http://www.mof.co.jp/main/word/histry.html