秋田の由来に加え、面影橋・もろこし・金萬の由来も調べました。
日本の米どころとしてや「秋田美人」などといった言葉で知られている秋田県ですが、県名や地名は何に由来しているのでしょうか?
秋田についてまとめてみようと思います。
秋田県の由来
秋田県は、その昔は「齶田(あぎた)」などと呼ばれていたそうです。
齶という漢字は「がく」と読む事もできるそうで、これは秋田の地形を顎(あご)に見立ててつけられたと言われています。
ちなみに「た」は、場所を表す接尾語の役割だそうです。
その他にも、もともと「あいた」と呼ばれていたものが変化したことから「あきた」と呼ばれるようになったという説もあるようです。
この「あいた」という言葉の「あい」は湧き水を表しており、「た」は場所を表しているのだといいます。
733年には「秋田村」という地名が付いていたそうなのですが、その後歴史が進んでいく中で、久保田藩が「秋田藩」と改名したことから、県名になったとされています。
面影橋の由来
面影橋という名前の橋は、秋田市を流れる「草生津川」に架かっているいる橋だそうです。
ちょっと変わった名前だと思うのですが、その由来はどんなものなのでしょうか?
なんでも、江戸時代にはこの場所の近くに久保田藩の処刑場があったのだといいます。
罪人は処刑される前に、橋のたもとにある茶屋で最後の食事をとったと言われています。
そして、食事をしながら川に映る自分の姿を「今世の最後の面影」として見納めていたとされており、そこから「面影橋」という名前が付いたという言い伝えがあるようです。
この他にも、徳川家光が施行した「キリシタン禁止令」によって、この場所で集団処刑をしたという言い伝えも残っているのだといい、どちらにせよあまり良いイメージのない由来なのではないでしょうか。
秋田名物の「もろこし」と「金萬」の由来とは
秋田名物といえば「もろこし」と「金萬」というお菓子があることをご存知でしたでしょうか?
秋田県の方ならもちろんのこと、旅行などで行かれたことがある方はご存知かもしれませんね。
このお菓子は一体どんな歴史を持っているのでしょうか?
まず「もろこし」についてですが、原材料は小豆で、いわゆる「落雁」の一種なのだといいます。
1705年に「杉山寿山堂」が創業された当時から試作を繰り返して出来上がったお菓子だといい、第4代藩主だった佐竹義格公に献上したことにより、杉山寿山堂は御用商人に選ばれ、菓子司の肩書をもらったのだそうです。
この「もろこし」という名前からトウモロコシの粉で作られたものだと思う方もいらっしゃるようですが、上記にも述べたように原材料は小豆です。
この名前の由来は、「諸多(あまた)の菓子を超越して風雅な味なり」という褒めの言葉からきているとされています。「諸々(もろもろ)を超している」ということで「もろこし」なんですね。
また、「金萬」」という卵とハチミツと小麦粉で作った皮に、白餡を包んだお饅頭は、昭和28年に秋田駅前の金座街という場所で誕生した饅頭であることから「金萬」と名付けられたそうです。
・参考記事
http://chimei-allguide.com/05/000.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%A2%E5%BD%B1%E6%A9%8B_(%E7%A7%8B%E7%94%B0%E5%B8%82)
http://www.chuokai-akita.or.jp/okasi/okada/gaiyou.htm
http://www.acvb.or.jp/akipre/detail.html?id=1506 他