京都の由来や赤池という地名の由来
古い歴史や文化を持つ京都という場所は、とても趣のある場所ですよね。
そんな京都の地名の由来などをまとめてみようと思います。
京都の由来
京都という場所の歴史は古く、781年(天応1年)から明治維新に至るまで、1074年もの間、日本の首都でした。
そんな歴史深い京都ですが、そもそもは平安京と呼ばれていました。これは「天皇と国家の永遠の平和」を祈願するために唱えられていた名称であり、一般的には「京(きょう)」「都(みやこ)」などと呼ばれていたといいます。
そもそも「京」という文字は「天皇が居住している場所」という意味合いがあり、「都」というのは「民衆が集まり住んでいる場所」という意味があるのだそうです。
そして、11世紀の末頃から、京都と呼ばれるようになっていったのだといいます。
しかし、明治維新の時に天皇家が当時の江戸に住居を移したため、江戸を「東京」といい、京都は「西京」と呼ばれていた時期があったそうですが、そののちに公式に「京都」という名前が採用されたといわれています。
今は天皇家は住んでいませんが、京都は長い歴史の中でずっと都であり続けたという歴史もありますので、「京」の文字が名残として使われているのかもしれませんね。
赤池という地名の由来
京都南インターチェンジ付近には「赤池」という地名の場所があります。
そして、その地名の由来には少し怖い意味が隠されているのだというのですが、一体どんな由来があるのでしょうか?
それは、平安時代の終わりごろにいた「文覚(もんがく)」という人物に関係しているとされています。
この方は元々は武士だったそうなのですが、同僚の武士の妻と恋に落ちていたといい、いわゆる「不倫関係」で、それは決して許されない恋でした。
ある日文覚は、その恋人に「同僚の武士を殺すから、あなたは正式に私と結婚してくれ」と申し出ます。
するとその恋人は「それでしたら、東より2つ目の寝室に主人は寝ているから、必ずや仕留めてください」と言ったそうです。
しかし、いざ寝室に忍び込み斬った相手は、その不倫相手だったといい、主人と文覚との間で悩んでいたことを理由に自分が死ぬ道を選んだそうです。
そして、文覚は自分が斬ってしまった愛する女性の首を近くの池で洗ったところ、その池の水が血で真っ赤に染まってしまったことから、その池があった場所が「赤池」と呼ばれるようになっていったとされているようです。
このように、京都にある地名の中には少し怖い逸話が隠されているものがちらほらとあるようです。
「千年の都」とも呼ばれている京都ですから、その地名の一つ一つには長い歴史の中で起こったことに由来するものが沢山あります。
ですので、色々な地名や町名の由来を紐解きながら京都の街を歩いてみると、今までとはまた違った楽しみ方が出来るのではないでしょうか。
・参考記事
http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/295.html
http://chimei-allguide.com/26/000.html
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid746.html 他