横浜の由来 ~「狩場」や「関内」の由来も併せて~

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神奈川県にある横浜市は、とても素敵な港町であり、異国情緒溢れる場所で多くの観光客が訪れる場所でもあります。

今回は、そんな横浜に関連する様々なことをまとめてみたいと思います。

横浜という地名の由来について

今ではとても栄えている港町ですが、そもそもこの辺りの土地は砂浜だったようです。

室町時代の文献には、すでに「横浜」という文字が使われており、「横浜村」と呼ばれていたのだといいます。

「横」という文字には「水平に長くのびる」といったような意味合いがあるそうで、このことから「水平に長くのびる砂地」という地形に由来した地名ではないかと言われています。

またこの他にも、主要な道から横に逸れた場所にある浜辺という意味から横浜になったという説や、浜の横に発展した土地という意味から横浜と名付けられたという説もあるそうです。

これに似たような由来として「横須賀」という地名もあげられます。

「須賀」というのが砂洲(浜)のことを意味した言葉だそうで、その横に栄えたことから横須賀と呼ばれるようになったと言われています。

狩場町という地名の由来について

狩場町(かりばちょう)とは、横浜市保土ヶ谷区の中にある町名です。

「狩」という文字が付いているということで、そこにはいったいどんな由来があるのかが気になってしまいますよね。

狩場町というのは、もともとは橘樹郡保土ヶ谷町の一部だったといい、1927年に横浜市に編入された後の1940年に保土ヶ谷区に編入されたのだそうです。

気になる町名の由来についてですが、建久4年の頃に、源頼朝がこの地で狩りをしたという説があるのだといいます。

また、これ以外にも「草刈り場」という意味から来ているのではないのかという説もあるのだということです。

関内という地名の由来について

関内(関内)というのは、横浜市中区にある地名で、中心部となる官庁街や商業地域のある一帯に事を広く指す地域名称なのだといいます。

関内という呼び方は、地元の横浜市民に定着した呼び方だそうですので、地図上にそういった記載はされていないのだといい、この名称自体は江戸時代末期ごろからすでに使用されていたのだそうです。

関内駅の前の地下を走る高速道路は、その昔は水運に使用されていた運河だったといい、とても主要な川でした。

その運河に、吉田橋という橋があり、幕末時代における開国・開港後には、横浜港周辺の開港場を警護するために、そこに「関所」が設けられたのだといいます。

そのことから、この関所より内側か外側かを区別するのに「関内」および「関外」という呼び方が根付いていったものだとされているのだそうです。

その名残から、現在では横浜市役所や横浜スタジアムなどのある横浜港に近い地域を関内と呼び、伊勢佐木町側の地域の事を関外とよんでいるのだということですが、「内」と「外」という文字から、内陸側(横浜港よりではない)を関内地区と呼ぶと勘違いしている人も多いのだといいます。

・参考記事
http://chimei-allguide.com/14/100.html
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412035434
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%A9%E5%A0%B4%E7%94%BA
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%86%85#.E5.9C.B0.E5.90.8D.E3.81.AE.E7.94.B1.E6.9D.A5 他

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